「自分は知っている」と思い込む罠から抜けだそう!

日刊

今は「知識」が簡単に手に入る時代です。
分からないことはインターネットで検索すれば大抵のことは答えが書いてあるし、時間や場所の制約を超えた情報をいとも簡単に画像や動画で知ることができます。

じゃあ勉強しなくても大丈夫かと言うとそれは全く逆で、知識が簡単に手に入る時代だからこそ勉強の重要さが増してきます。
なぜなら知識を簡単に手に入れることができるのは自分だけではないからです。

だからこそ僕らは知識以上に、「知恵」を身につける必要があります。
これはインターネットではなかなか手に入りません。
泥臭く思われるかもしれませんが、自分のリアルの中で努力と経験を重ねることにより初めて身についていくものです。

このあたりの話は拙著でも語っておりますので、ご興味があればご覧になってみていただければ幸いです。

知った気になる危険性

iPhoneアプリ「EverWord」や「MergeEver」の開発者さんたちとお会いしてきた « 4コマでわかる!ITのこと

前回エントリーに書いた、薬師寺さんと青木さんとの会話。
僕たち三人の話題は実に多岐に渡りました。
アプリの話、ブログの話、音楽の話、医療の話。

しかし一見バラバラに見えるこれらの話題の中に、実は一筋の芯となる、ある共通の「想い」と「危惧」が通っていたのを三人が感じていたように思います。
それこそが「勉強することの重要性」です。

ブログで得た情報がすべてだと思い込む人たち。
YouTubeを見ただけでライブの良さを知った気になる人たち。
ネットに載っているソースをコピぺして開発者を名乗る人たち。

彼らはそれで「知った」「学んだ」と錯覚してしまいがちです。
それで自分を良しとする人たちはこの先大変苦労してしまうのではないか。
プログラミング言語をその仕組みから理解しようとするほどの勉強家、青木さんはこのようにお話されていました。

偉そうにする「偉い人たち」

また日本では、「偉い人」が偉そうにするのが普通です。
うちの奥さん曰くそれは「偉い人」ではないのだそうですが、今の日本の「偉い人」というのは残念ながらそういう人が多いのが事実です。

ですから「偉くない人たち」は、「偉い人」に質問することを恐れます。
こんなこと聞いたら恥ずかしい、と感じるからです。

日本人らしいと言えばそうかもしれませんが、これは大変危険な状況です。
「偉い人」にとっても「偉くない人」にとっても勉強を放棄していることになるからです。

ニューヨークに数年滞在していた薬師寺さんによると、アメリカでは偉い人ほど、そうでない人たちのレベルまで降りて行って話をするらしいです。

すると周りの人たちは「質問すること」の敷居が下がり、偉い人と対等の会話をすることができます。
これは質問者側にとって勉強になるのはもちろんですが、「偉い人」側にとっても勉強になるということを、偉い人自身が分かっているというところが重要なところです。

第二領域に属する勉強を怠らない

偉かろうがそうでなかろうが怠れば大変な損失を生むもの、それが勉強です。
情報が簡単に手に入る時代、それに加え質問のしにくい国に生きていく上で、僕自身気をつける必要があると改めて感じさせられた会話でした。

時間とお金に余裕のある人はなかなかいないでしょうから、勉強をするというのも簡単ではないかもしれません。
でもせめて自分の仕事に関すること、好きなこと、やりたいこと。「7つの習慣」で言えば第二領域に属するもの。
ここに充てる時間とお金と意識の重要性くらいは、僕たちはもう一度見直すべきなのかもしれませんね。

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