僕の住んでいる場所は埼玉。
あの日、僕は代休で家に居ました。
午前中は、ホワイトデーのためのトリュフを作っていました。
午後から、結婚記念日(3/12)のお祝いのために家族で外出する予定でした。
場所は、結婚式を挙げた渋谷のレストランlegato。
レガート | 渋谷で夜景を眺めながらロマンチックなディナーを
家を出たまさにその瞬間に、あの震災がやってきました。
外の景色が物理的に揺れて見え、立つことすらままならないほどの地震。
恐怖で娘は泣いていました。
それから数日は、まるで一日にして別の世界になってしまったような違和感のある生活が続きました。
最寄駅の電車が動いていないので1時間半かけて別の路線の駅まで歩き、大混雑の電車に乗って通勤。
薄暗い会社の中でいつも通りの仕事をこなし、また大混雑の電車に乗って帰宅。
こんな生活がいつまで続くのだろうと思ったものです。
そして一年。
まるで何もなかったかのように生活は平常に戻っています。
いえ、戻っているかのように見えます。
実際はまだ辛い生活を強いられている方もいるし、震災が奪い元に戻らないものもたくさんあります。
そして、長い期間続くであろう大きな危険にもさらされ続けながら生き続けなければならないことになりました。
ともすれば忘れてしまいがちな震災という出来事と、今なお残る爪痕を僕はせめて子供達に伝えていかなくてはいけないと思いました。
ふたりの娘は一年前のことは忘れてしまったみたいだけど、悲しいことに娘たちはこれからその爪痕と向き合いながら生きていかなくてはいけないこと。
それらを正しく伝えていかなくてはいけません。彼女ら自身が幸せに生きていくために。
僕は、妻と娘ふたりだけは自分が死んでもいいから生かしてあげたいと本気で思っています。
大げさに聞こえるのか立場上当然だと思われるかは分かりませんが、これは震災で気付かされたことです。
でも、言わずもがな一番の願いは家族全員で笑って生きていくことです。
恵まれたことに、震災から一年経った今日ではそうやって暮らしていくことができています。
願わくば、これがこの先もずっと続きますように。
そのためにこそ、一年前の出来事を子供達に上手に伝えていきたいと思います。